科学史家、天野清
科学史のカテゴリに入っているので、科学史のお話を。
学部の卒業研究で量子論をやっている時、ネットでこの方のお名前がヒットして初めてお名前を知った。
国会図書館のデジタルライブラリーで『熱輻射論と量子論の起源 : ウイーン,プランク論文集』を閲覧し、下のような黒体炉の写真が印象に残ったのだが、
中村修二氏のノーベル賞受賞時の紹介記事で、自作の電気炉とともに撮られたお写真を見た時に、思わず「あ、似てる」と心中で声が出た。
天野清(1907~1945)
1932年 東京帝国大学理学部物理学科卒
1935年 商工省中央度量衡検定所勤務
1944年 東京工業大学助教授
1945年 4月、東京大空襲にて被爆、翌日死没
(中央公論社『量子力学史』より)
科学史学会設立から幹事で参加し、国際度量衡学会などに参加しておいでだったようだ。
語学に堪能だったようで、後輩の伏見康治の机にドイツ語の文献を積んだエピソードを、何かで読んで記憶に残っている。
その早逝ゆえか、Wikipediaでもお名前が見られないのは、不思議だ。