物理学者と平和
こちらの影響を時折受けるのですわ(・ω・)
例によってワタクシが持ち出すのは,広島文理科大の三村剛昂先生です.
三村先生は原爆が落ちたあと,お仕事としてまず,人影の石などから投下点を算出した.
また,ABCCの研究者には,丁寧な英文の手紙で知見を知らせている.
いずれも物理学者としての義務として,お仕事されたのだと思います.
ただ,現場の惨状や人道的な問題を訴えるべきとのお考えがあったこともわかるのですが,
学術会議(昔の学振ですか?)で,よりによって同僚の藤原武夫先生から痛い一撃を喰らいます.
そう,日本唯一の理論物理学研究所として,原爆の投下を予期し,山間部への疎開を民衆に指示できていなければならなかった,との指摘です.
これには三村先生もそうとうこたえたらしく,ここから蔵書にロシア語が入り始めます.
なぜなら当時は冷戦下,アメリカの同盟国として,仮想的国ソ連の科学技術の進捗を予測するべきだったから...だろうと思ってます.
いずれにせよ社会に寄与せねばならないとの意識がおありだったのでしょう.
ご本人は,ワイル勉強してたころが一番楽しかったんじゃないかしら.
とりとめもない雑想でした.
(・ω・)
勝手な妄想だが,ヤマトの主砲は藤原先生がタルマン・ブリッジマン炉?とかで作ったんじゃないの(^▽^)?
勉強に戻ります.
(^▽^)